沿革

出典:昭和29年5月2日(日) 朝日新聞記事
警視庁交通2課工手「荒井繁雄(47) (荒井電気工業創業者)」の手記から
“信号機相手に生活 はけない二足のワラジ”私の歩んできた道は平凡の二文字に尽きる。中学に通う長男を送り出して朝八時半、警視庁へ行く。前夜から都内の信号機で故障した地点の通知を受ける。ドライバー、ペンチなどの七つ道具をかつぎ、作業車を運転して現場へ。青、赤、黄がうまく点滅するように次々と復旧作業を続ける。戦争で出征した五年を除けばこれが私の生活のすべてである。新潟に生まれた四男坊、畑をもらえるわけでなし、ブリキ屋を業としたが、雪が多くて一年のうち半分だけの商売では見込み無しと、十八歳の時東京の土を踏んだ。

信号機相手に生活鉄道の配線夫、電気工事の請負仕事をやりその間、コツコツ電気を勉強した。ちょうど、警視庁で信号機をボツボツ取付け、工手を始めて採用した昭和十二年、縁があって務める身となった。当時は「進メ」「止レ」という丸い板がバタンと上り下りする“バタン式“などという原始的なものもあった。戦争中は信号機は強制供出、残ったのも戦災で全滅した。戦後すぐ用をなしたのは日比谷交差点一箇所だったから情けない。戦前都内の自動車は六万台だったが、いまは十九万台というラッシュなのに信号の復活はたった二百六十二ヵ所である。これから仕事は、ますます、忙しくなろう。だが好きでやっている仕事だ。夕方帰りぎわ故障を知らされ、そのまま家に帰ると気がかりで落ち着かない。それにちょっと話を聞けばドコが悪いか、ピンと来るようになった。昔のようにワケがわからず、とまどいしたのと違ってなおるのが当然という自信を持っている。どんなに仕事がふえても、ヘコたれることはない。今の給料は、なんだかんだ合わせて手取り一万七千円、五人家族では決して楽ではない。内職に打込めば、少しは足しになるかもしれない。だが、それをやれば疲れて本職に無理が来る。私は断じて“二足のワラジははけないのである。

会社の沿革

昭和29年 11月 警視庁交通二課信号部 退官
昭和30年 3月 荒井電気工業所 創業
昭和37年 10月 荒井電気工業社 設立
代表者取締役 荒井 繁男
資本金 150万円
営業所 東京都品川区西大井 6-18-21
昭和43年 2月 荒井電気工業 社名変更
資本金 250万円
昭和54年 6月 荒井 康隆 代表取締役就任
平成4年 9月 資本金 500万円増資
平成9年 7月 倉庫開設 東京都品川区二葉 4-4-20
平成12年 10月 荒井 栄一 取締役就任
平成18年 11月 資本金 1千万円増資
平成22年 8月 荒井 栄一 代表取締役就任
平成24年 5月 さいたま市桜区五関 さいたま置場開設
現在に至る
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